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木のおもちゃ展 開催中(えみ)

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今月の四畳半は、工房あつすけ さん。
触り心地のよい木地の、大小様々な木のおもちゃが並んでいます。

あつすけさんは、ご存知の方も多いと思いますが、1940年生まれの私の父です。
制作場所は岐阜県。

工房は自宅の庭。
次女を里帰り出産した時に、長女の食事用の椅子がなく、いっちょ作ってみましょうか?
と、椅子を作ったのが、10年ほど前。
それから、木工があつすけさんの趣味になりました。

夏の終わりに岐阜に帰省した時に、おもちゃの設計図の紙の束(設計図といっても、裏紙に書いた手書きのデッサン)を発見しました。
ちょうど、10月だけ四畳半が空いていたので、このデッサンと作品を並べたら面白いなあと思い、スクラップブックにまとめました。

アイデアブックともいえるこのデッサンが味わい深い、作品を見ながらめくって下さい。




最近登場し、すでに足湯デッキで人気のスケボーのデザインも。



四畳半、こんな雰囲気。




天井からは飛行機とヘリコプターがぶら下がっています。



動物シリーズ




乗り物シリーズ






これは、私のリクエストで作ってもらった、赤ちゃんのはじめてのおもちゃ。
なめなめ、にぎにぎしても安心の無塗装。


おままごとにも使えるかな。


スマホスタンド


お月見小箱


リモコンスタンド





こちらは、乗ってあそべます。
木馬の他に、犬、羊の乗り物も。

あつすけさんが、楽しみながら作った作品たちです。








台風のため10/6営業時間を変更します

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10月6日(月)は台風18号の接近による荒天が予想されるため、開店時間を遅らせていただきます。
天候が回復次第、準備を行いますが、通行止めなどが生じた場合、終日休業となる可能性もありますので、ご了承ください。

あじさいの季節&テレビ放映のおしらせ

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今年もあじさいの季節が過ぎていきました。

週末を中心に忙しくなる時期なので、気がつくと過ぎ去ってしまうのですが、一年の中でも一番良い時期だと僕は思います。
一般に、梅雨=雨が降ってジメジメしていやな時期、といわれているけれど、ここ宮ノ下で幼少期をおくった僕にとって、そんなイメージは全くありません。
雨が降るたびに、植物が生き生きしてきて、虫だのトカゲだの生き物も沢山出てきて、しっとりとした風にあたっていると、テンションが上がってきます。
インドシナの国々が好きなのも、この湿気が好きだからかもしれません、、、


この時期になると登山鉄道は「あじさい電車」なる座席指定製の電車をはしらせたり、夜はライトアップをしたりします。
あじさいの名所とされる宮ノ下駅もカメラを持った人達、とりわけ電車とあじさいを同時にフレームに収めようとする「撮り鉄」のひとたちで賑わいます。

そんな中、当店でも小田原の街中で開催された「小田原ブックマーケット」とのコラボ企画として、「電車君の本棚 〜宮ノ下信号所」というのをやりました。




ライブラリーコーナーに「電車くん」ことくぼたひろとさんのセレクトした蔵書が並び、自由に読んでもらうようにしました。



くぼたさんはどちらかというと「乗り鉄」のほうで、とりわけ、今は一編成しか残っていない旧型のモーターを搭載した車両を愛していて、その車両の音がするたびに「あっ来た!」と飛び出していっていました。
おかげでスタッフも全員、「音」で分かるようになって、最後の方は
スタッフ:「あっ、あれ来ましたよ」
くぼた:「ちょっと大平台まで乗ってきます」
なんて会話が繰り広げられるようになりました。

なにげなく聞いていた電車の音も深く知ると楽しいですね。


さて、この時期、たてつづけに二本の取材があって、どちらも来週放映なのでお知らせします。

ひとつは孤独のグルメというドラマ仕立てのグルメ番組です。



よくテレビドラマなどに出演している松重豊さんが、とある街で店を見つけ、黙々と食べる、、、番組です。
残念ながら(笑)、店員役もエキストラの役者さんなどが担当するため、我々は出演しません。
ですが、カフェがばっちりドラマの舞台になっているので、面白いと思います。
食べるときの「音」にこだわる番組なので、こちらの場合は電車の音はNG。
何度も「電車きました〜、電車行ってからテイク2いきます、、」と行った感じでした。

電車の合間を縫って、ならやんを「パリッ」と食べていきました。
是非ご覧ください。

来週水曜日、7月23日夜11時58分からテレビ東京系(TX系:中部地方はテレビ愛知)で放映されます。


もうひとつはあじさい電車を取材した、NHK-BSのてつたびという番組です。

以前、他の取材でいらしたこともある、鉄道写真家の中井精也さんが登山鉄道に乗りに来て、電車を眺めながら(撮りながら)足湯に入ります。
ちょうど、「宮ノ下信号所」企画でくぼたさんが頻繁にいらしていた時だったのですが、残念ながら取材のときはまだ「電車君の本棚」はできていませんでした、、

取材時も足湯は賑わっていて、その中には大きなカメラを携えた撮り鉄のお客さんもいて、
「いやぁ、すごいの(大物)がきちゃってビックリしました!」と言っていました。

放映は来週木曜日、7月24日夜7時30分からNHK BSプレミアムです。



実はこのテレビ放映2つとも、僕はリアルタイムで見れません。(録画はしますが)
ちょっと海外に「高飛び」してしまっている予定です。
行き先はまた旅ブログにて、、、


前々回の「ダメな時期」ブログで何名かの読者の方には、心配をかけたり、励ましをいただいたりしましたが、僕なりに調子は出てきました。
少しずつ次の段階への準備も進み始めています。
なんとなく、この半年くらい自分の「旅したい心」を封じ込めていてしまった気がするので、ここらで解放しつつ、旅を食って生きているような性格の自分なので、今回の旅からエネルギーを得られたらと思っています。
ただし、今回は「孤独の旅(グルメ)」ではなくて、家族と一緒です。



最後に、嬉しいニュースもうひとつ。
ネパールで実家に泊めてもらったりドライブしたりしたキショールが日本に来ていて、カフェに遊びに来てくれました。


一昨年、カトマンズの空港にて

彼は日本語能力を活かして、空港で僕のような1人旅の日本人を多数捕まえて観光ガイドをしているので、日本全国にお友達がいます。
Facebookで日本に来ると聞いて、「じゃあうちの店にもおいでよ、箱根だよ」くらいしか言っていたかったのですが、横須賀に住む友達とともに来てくれました。
「いつまで居るの?」
と聞いたら、「ビザの切れるまで、3ヶ月」とのことでした。
その間、友達の家を渡り歩くみたいです。今は関西方面にいるみたい。

やつもかなりの旅人です。

今年の宮ノ下さんぽ

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10月になって、2回も台風が来ました。
去年もそうでしたが、今や10月が台風のシーズンですね。

今年も宮ノ下商店会では秋のイベント「宮ノ下さんぽ」を開催しています。
昨年は古本市を企画して台風に泣かされましたが、今回は昨年・一昨年と開催した野外でのイベントはなし、、、、ということで若干縮小規模で開催することになりました。

今回の展示のメインは「セピア写真」です。
町内に埋もれている古い写真を掘り起こし、現在のその場所に写真を配置して、昔と現在の対比を楽しめるようにしようという趣旨です。
去年はじめた「セピアコレクション」も同時に実施していて、街にちりばめられたセピア写真とそこからぬけ出したモノ(セピアコレクション)を辿りながらプチタイムトリップを楽しんでもらおうという狙いです。

とはいえ、なかなか狙い通りに写真や古いモノは集まらなかったのですが、(例えば、古いアイロンや包丁を「こないだ処分しちゃったよ、、」なんて店もあって)あとは、散策する方に想像力を働かせていただきたいと思います。




NARAYA CAFEでは西洋館の写真と、それにまつわるもの(シルクハットやワインリストなど)を展示しました





「コーヒーハウスあん」さんのあたりから見た景色はこんなでした





嶋写真店の昔の店舗とその向かいの消防詰所




昔は富士屋ホテルの入口(山田屋さんの前あたり)に飲泉場があって、浴衣姿の人達が温泉を飲みに来ていました
さすが西洋人が多かっただけあって、温泉との関わり方も西洋風ですね


さて、この「宮ノ下さんぽ」期間に合わせて、カフェのギャラリーでは地元湯本在住の画家、河原秀生さんによる「宮ノ下今昔絵空散歩」展示されています。

昨年は浮世絵を題材にして、昔の箱根八里の風景の中に現代人が隠れている、、、という面白い展示をしてくださったのですが、今年はその続編で宮ノ下をテーマに屏風絵のような大作に挑んでくださいました。



その名も、宮ノ下今昔絵空散歩

宮ノ下のメインストリートを歩く和服姿の人々、湯治場として賑わった江戸時代の絵図か?、、、と思いきや



おっ、すでに嶋写真店が現在の姿で建っています




おっ、「ならや」のちょうちん
芸が細かいです




「NARAYA CAFE」では、子供たちが木の遊具で遊んだりしています。
(ちょうど今、ならやあんでは「木のおもちゃ展」を開催中です)




その他、小さな作品もあって、こちらは「江戸物売り十二態」というタイトルです。



もちろん、ここにも関係ない人が出てきちゃったりしてます
(この七味唐辛子売りは傑作だと思います、、、)


「宮ノ下さんぽ」にあわせて、是非こちらの展示も是非ご覧ください。
駅を降りたらまず、森メシかNARAYA CAFEで「さんぽマップ」をゲットして、「宮ノ下今昔絵空散歩」を見てイメージを膨らませ、散策をスタートするのがオススメです。


彩織 ~mal~ 展

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今月の四畳半は、小泉亜紀さんの手織りの作品。

彩織という名の通り、青色、赤色と単色では表現できない、深みのある色たちの作品が並びました。

こちらの平織りタペストリーがDMになっています。

夕日のような、紅葉の山のような、稲穂の実る田んぼのような。
沢山のウール、シルク、綿、それとさまざまな色の組み合わせで織っているので、全く同じものが二度と再現できない一点ものです。

こどものおつかいに首から下げたらかわいいだろうな。
豆がま口のネックレス
2000円


秋の装いのポイントになりそうなヘアゴム
600円


巾着


バック


ストール、マフラー



こちらは大判ストール


洋服はチュニック、ワンピース、ポンチョ、コート



試着室も用意しております。

見ているだけより、実際に羽織ってみたり、巻いてみたりすると、もっと魅力的に感じました。
是非、手にとって鏡にあてて見て下さい。














本日でならやあん三周年となりました。

11月のNARAYACAFE ~中藤文彦版画展

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今年も紅葉の時期がやってきました。

今年の箱根の紅葉は例年より早いようで、毎日通勤する山の景色ではありますが、日に日に山の色が濃くなっていくのを感じます。
例年、この時期はハイシーズンではあるのですが、来たるべく冬(=オフシーズン)の足音を感じる時期でもあります。
そのため、箱根のシーズンサイクルが身についてしまった我々としては「葉っぱが散ったら暇になるから、あとひと踏ん張り(or ひと稼ぎ)だ!」という、ゴール直前のマラソンランナーのような妙なハイテンションになる時期でもあります。(僕だけかな?)

そんな中、ギャラリーでは中藤文彦さんの版画展が開催されています。
中藤さんは熱海市在住の版画家なのですが、NARAYA CAFEギャラリーでの展示は3回目になります。
いちどアトリエに伺ったこともありますが、木版リトグラフという手法で版画を描かれているため、版木用に固い木口の木材を集めていたり、毎年の干支の動物を描いた版木を見せてもらったりと、木の話でも盛り上がりました。



ちなみに今年の干支「馬」の版画がこれです。
来年には「羊」が登場するはずです。


そんな木から生まれた作品なので、ギャラリーの空間にも馴染んでいるように思います。

今回、あらたに作られた作品は「増殖」というタイトルがついています



今回は抽象的な図柄です。
海の中のさらに中の、微生物の世界に迷い込んだような気分になります。





こちらの絵は、いよいよお魚が生まれそうな感じでしょうか、、、
全体が顔のようにも見えます。





たしかこの子は以前の個展でも展示されていた思いますが、なんとも愛嬌があって好きです。


中藤さんによると、ポーランドのクラクフで3年に一度行われている版画展「クラクフ国際版画トリエンナーレ」というのが権威ある展示会で、毎回出展しているのだそうです。
来年の応募がそろそろはじまるのですが、前回出展した作品がまだポーランドにあって、今回の応募が始まって事務局に資金が集まったら、ようやく郵送して返してくれるとのことです。

「ということは中藤さんの作品、いまポーランドなんですね。じゃあ、今度行ってもらってきましょうか、、、」なんて、まんざらでもなく言いながら、早速クラクフへの航空券を検索したり、列車の時刻を調べてみたり、空想旅行でも楽しませて頂きました。
クラクフはワルシャワよりも、お隣スロヴァキアのブラチスラバやチェコのプラハからも近いみたいですね。

中藤さんの版画展、会期は紅葉の見頃と同じ11月末までです。

11/29(土)、30(日) 古本市 ~Mori Books 開催します

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明日、11/29(土)と30(日)の2日間、ならやあんの軒下にて古本市 ~Mori Booksを開催します。

時間は11:00~15:30頃まで
(ただし、雨天の場合は中止します)

今回の企画は、小田原ブックマーケットなども行った小田原のシェアオフィス「旧三福」に所属する「三福文庫」さんとのコラボで実現しました。
小田原ブックマーケットにも出店した、下記の方々の選書が並びます。

えほんのおみせ tiny zoo
conte
イトヨ文庫
宮の下信号所(by くぼたひろと)
三福文庫

宮ノ下駅から坂を下って、NARAYA CAFEの足湯を通り過ぎると、すぐ目にとまると思います。
お気に入りの本が見つかったら足湯で読書もアリかもしれませんね。

NARAYA CAFE MORI Books 終了しました

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昨日(29日)、今日(30日)の2日間、ならやあんの軒下を利用して、古本市「NARAYA CAFE MORI Books」を開催しました。

土曜日の昨日は朝から土砂降りの生憎の天気でしたが、天候の回復をみて午後からオープン。
本を並べてみると、「なんで今までやらなかったんだろう、古本市、、、」と思うくらいばっちりと風景にはまっていて、短い時間ながら多くの方々の足を止めました。

翌日曜日は朝から良い天気。
紅葉シーズンの日曜日とあって、古本市もたいへん賑わいました。



今回の選書には6月に行われた小田原ブックマーケットを主催した、小田原のシェアオフィス「旧三福」に拠点を置く「三福文庫」さんを中心に4~5名の方にご協力頂きました。
その中には昨年、商店会のイベントして行った「森の読書室」に参加してくれた「イトヨ文庫」さん、6月に小田原ブックマーケットとのコラボ企画として開催した「宮ノ下信号所」の選書をしてくれた「電車君」ことくぼたひろとさんなど馴染みの顔もありました。
皆さん選りすぐりの素晴らしい本を提供してくださり、僕も仕事そっちのけで古本をあさった2日間でした。



とくに「くぼたひろと」さんが提供してくれた台湾・韓国・中国の時刻表のコーナーは僕にとっては麻薬でした。
台湾・韓国・中国の列車の時刻を、日本のJRの時刻表と全く同じ書式で編集してあるんです。(実は同人誌とのことでした)
小さい頃から旅館の帳場にあった大きな時刻表を読んで育った僕にとって、慣れ親しんだ書式で、かつその時間旅行の範囲を国外にまで広げられるなんて、、、、夢のようです。

早速手にとると、「ハノイを夜出た夜行が国境に何時何分でふむふむ、北京まで直通の国際列車が走るのは木曜と日曜かぁ、、、」と全く仕事が手に着かなくなってしまいます。
「非売品」で良かったです。(笑)

さらにくぼたさんは登山鉄道の新車両「アレグラ」の情報なども網羅した新ガイドブック「宮ノ下からのかえりかた」も今回の企画に合わせて徹夜して作ってくれました。
こちらは買うことができます。(1冊200円)
この本に関しては、引き続きNARAYA CAFEに置かせてもらいますので、興味のある方は声をかけてください、販売いたします。




今回、この企画を行ってみて、ならやあん、あるいは宮ノ下駅前の坂(あじさい坂)と古本とのマッチングが非常に良いことを実感しました。
これまでもガラス戸を通して見える店内の雑貨や「ひょうたん最中 ならやん」のオブジェに興味を示す人は多かったのですが、足を止めることはなくチラ見して通り過ぎる人もまた多かったです。
けれど、そこに古本が並んでいると、立ち止まって本を手にとる、その後店内に目を移して雑貨も見てみようかな、、、という段階を経ることで、ならやあん・NARAYA CAFE双方への誘客効果があったのではないかと思われます。
なにより、今回選書をしてくれた方々が道行く人と本を通して積極的にコミュニケーションをとってくださったので、その楽しげな雰囲気がさらに賑わいを生んで、、、と相乗効果が生まれるのを目の当たりにしました。
かつてNARAYA CAFEを始めたとき「無料の足湯を通り沿いに配置して大丈夫だろうか、、、みんなタダ乗りしてしまうのではないだろうか」という不安を抱いたけれど、やってみると、足湯に入っているお客さんがさらに道行く人を誘客する相乗効果の方がはるかに上だったという経験を思い出しました。
何事も実際にやってみることが大事ですね。

今回、実験的に古本市を行う機会を与えてくださった皆さんに感謝です。




それから、今回はならやあん改装時に設計士Naotoがこだわって、「坂道だから道行く人が腰掛けられるように」工夫したデッキの切り込みが役に立ちました。
うちの子ども達も連れてきたのですが、みんな当然のように座り読みに耽っていました。
Naotoありがとう、3年越しで活用させてもらいました。

我々も出店者側も手応えを得られたこの企画。
是非、第2弾を、、、ということで、次回は来年3月頃に実施しようかと考えています。
また、詳しい内容など決まったら、このブログやチラシ等でご報告したいと思っています。



しあわせの燭卓 展

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12月に入りました。

ここ数日の雨、強風で、山々の色づいた葉っぱも落ち、宮ノ下も冬到来です。

そんな中はじまった、しあわせの燭卓 展。

沢山のキャンドルと、キャンドルホルダーが四畳半に並びました。
キャンドルは la forêt verte のmieさん
ホルダーはgunungのyamaちゃん。

手作りのキャンドル見ているとあたたかな気持ちになります。
年末に向けて慌ただしい気持ちになるこの季節。
キャンドルを灯したら、いつもとは違う時間が過ごせそうです。


キャンドルホルダーはいろんな素材で。

ケヤキや杉の木でできたもの。
ウイスキーの樽をつかったもの。
レザー、鉛。
こんなカッコいいキャンドルホルダーは他に見かけません。






キャンドルは
ドット、モザイク、グラデーション、蜜蝋、ラベンダー、惑星のようなもの、三毛猫柄も。
迷いながら、お気に入りの一点を選ぶのも楽しいです。

こちらの展示は年明け13日までやっています。


ギャラリーにて5人展~Travelling Sheep開催しています

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12月のNARAYA CAFEギャラリーはいつもと違います。

これまで、壁面だけを利用して絵画などの展示を行ってきたギャラリーですが、今回は新たな試みで5人の作家さんによるフェルト、書、革、柿渋、陶器という多ジャンルの展示を行っています。

というのは、冬のオフシーズンに入り客足も落ち着いてくるこの時期、寒いため2Fのギャラリー入口を閉め切ることもの可能なことから、2Fギャラリーのスペース全体を展示に使ってしまってはどうか、、、ということを以前から考えていました。
作家さんの側からも「もっとボリュームのある展示をやりたい」という思いがあり、今回、フェルト作家の今野恵さんが音頭を採ってくれて、それぞれジャンルの異なる5人の作家さんたちによる展示が実現しました。

今野恵さんには2年前の冬にもギャラリーで個展をやってもらいましたが、そのときのテーマは「Gipsy」でした。
自身の制作に使う「羊毛」の起源をたどって、その羊の育った土地に思いを馳せて、それを旅する民「Gipsy」になぞらえた展示で、まさに僕のストライクゾーン!!、、、の素晴らしい展示でした。
僕はその展示からしばらく「Gipsy」が頭から離れなくて、ジプシー映画にはまったり、ジプシーの故郷といわれるインド、ラジャスターン地方に本気で行こうかと思っていました。
(結局、インドビザの面倒くささや期間の制約などもありネパールに行きましたが、、、)

そして今回の5人展のテーマも「旅」。
今回の5人の作家さんたちの出会いは毎年10月に千葉のニッケコルトンプラザで開催されている「工房からの風」という野外クラフトイベントでした。
実力ある作家達が集まることで知られるこのイベントで、今野さんを中心に意気投合した5人が作家活動(モノづくりの人生)という長い旅路の途中で山の温泉に集まろうよ、、、というのが今回の展示の趣旨です。




その5人の作家さんたちは下記の面々です

国分 佳代(こくぶん かよ) / 書

竹沢 むつみ(たけざわ むつみ) / 革

松塚 裕子 (まつづか ゆうこ) / 陶

横山 正美 (よこやま まさみ) / 柿渋

今野 恵 / フェルト


そうです、全員女性なんです。

ということで、初日にあたる先週月曜日はうちのかみさん(えみ)も含めて、設置作業&女子会(飲み)が盛大に行われました。
女性が5人(うちのかみさんも含めると6人)集まると、なんとも楽しそうでした。



賑やかに作業が進み、2Fギャラリーは今まで見たことのない空間に生まれ変わりました。




こちらは竹沢さんの革製品。
展示に使う什器類はNARAYA倉庫にある物をアレンジして使って頂きました。





こちらは横山さんの柿渋染め製品。
古い木箱の蓋が使われていますが、その横には「天保二年」の表記。渋いです!!。





松塚さんの陶器は奈良屋旅館時代に下駄を収納していた棚に収まりました。





そして通常絵画などを掛けている壁面には国分さんの書が





そうそう、来年は未年ですね。
いろいろな表情の羊という字が集まっています。





そこに今野さんのフェルト製品が吊り下がって、全体としてみるとこんな感じです。


皆それぞれにジャンルは違うんだけど、なんだか調和が取れているのが不思議です。

作家活動という長い旅の途中で生み出された作品達、それぞれの歩んできた道は違うけれど、仲良く同じ空間に並んでいる、、、、ギャラリーがそんな場所になっているのを嬉しく思います。
またしてもNARAYA CAFEのこれからのあり方にヒントをいただいたように思います。

展示は年末年始をはさんで来年1月12日まで。
もちろん展示品は販売していますので、是非お立ち寄りください。

キャンドルナイト

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今年のクリスマスは定休日ですが、一足早く、カフェにてクリスマス気分を味わいました。


22日に四畳半のスペースを飾って下さっているmieさんが大きな円柱のキャンドルを灯してくれました。
本当は足湯デッキに沢山のキャンドルが並ぶ予定でしたが、生憎の風。

場所をならやあんの窓際に移し、キャンドルナイトを楽しみました。


4時半頃から暗くなりはじめ、いい雰囲気に。


キャンドルのゆらめきは見ていても飽きません。

とても素敵な時間でした。
今年も一年に感謝する季節になりました。









NARAYA pod化計画(&求人のお知らせ)

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あけましておめでとうございます。

ちょうど去年の今頃、NARAYA計画2.0を始動しないと、、、、とブログに書いていましたが、その後あっという間に1年が過ぎてしまいました。
光陰矢のごとし、少年老い易く学成り難し、、、なんていう言葉を実感する今日この頃です。

とはいえ、NARAYA計画2.0というのは頭の隅にあって、少しずつイメージが固まってきた1年ではありました。
いわばリリースされる前にNARAYA計画2.1か2.1.2くらいまで修正が進んでしまったような感じですが、いよいよ今年こそ、その思いをカタチにすべくリリースしようと思います。

ちょうど今年の3月のギャラリーは個展の予定がないので、模型などを展示して新NARAYA計画の発表の場にしようかと思っています。
早ければ4月くらいから建設作業に取りかかりたいと思っています。




一年の計は元旦にありともいいますし(もう日付は変わってしまいましたが)、その計画のコンセプトだけでもここに記そうかと思います。

新NARAYA計画のキーワードは「pod」(日本語に訳すと「さや」、ipodのpodです)

そもそもNARAYA計画は宮ノ下駅前の坂道に出現した足湯とそれを取り囲む3棟の建物を有機的に結びつけて面白いことをしようということでした。
まず、カフェが出来て足湯に入れるカフェとして人気を博すようになりました。
その後、同じく坂沿いにショップ「ならやあん」が出来て、足湯の待ち時間などにショッピングの楽しみを提供し、作家さん達との結びつきも徐々に出来てきました。
ここまではわりとすんなり進んだのですが、最後に残った1棟(これまでゲストハウス棟と仮称)がすこしくせ者でした。
すでに足湯側の外壁部分は改修を施しましたが、思ったより傷みが激しくて、水回りなどを現状のまま宿泊施設にするのは難しいことが分かりました。
さらに、足湯と隣接するロケーションで窓からは景色も見えるこの建物、宿泊棟に特化した使い方をするのはもったいないのではないかと思うようになりました。

そこで思いついたのが、この棟を「宿泊棟」と限定してしまうのでなく、足湯に面したカフェ・ならやあんと同様、オープンで開放的な空間として、そこに宿泊する場合はなんらかの装置「pod」に入るというアイデアです。
このスタイルだと宿泊場所が限定されないので、季節の良いときなどはpodを足湯デッキに出して、星を見ながら夜を明かすなんてことも可能となってきます。
(野宿愛好家の僕はすでにその気持ちよさを知っていますが、、、)

世界を見回すと、まさに「the pod」という名のホテルがシンガポールにあったり、スイスでは夏はキャンプ場として使われている場所で冬のスキーシーズンに使われていたり、「pod hotel」はすでに市民権を得ているようです。






スイスのはhütte(山小屋)の進化形だと考えられますが、シンガポールのはなんのことはない、ちょっとスタイリッシュな「カプセルホテル」です。

そもそも「pod hotel」の本家は日本のカプセルホテルなのです。
それが海外のデザイナー達にインスピレーションを与え、インターナショナルなデザインの一形態となってきているように思います。

昨年(2014年)の一番の特徴として、外国人客の急増を肌で感じました。
NARAYA CAFEに対するtrip advisorなど英語圏の口コミ情報も増えてきていて、世界と繋がっている(=世界に発信できる)環境に居ることを実感します。

2020年の東京五輪まであと5年の2015年、今年こそ、新NARAYA計画として建築的なチャレンジを始動させたいと思います。

、、、、とそれに伴ってNARAYA CAFEでは新規スタッフの募集をいたします。
計画が固まったら、またセルフビルドでの改修作業がスタートするのですが、僕やえみがそちらに専念できるよう、また今後の業務拡大も見越してスタッフが必要となっています。
ブログ読者の皆さんやお知り合いで、良い人が居たら紹介して頂けると幸いです。
お問い合わせはinfo@naraya-cafe.comまで。

諸々含めまして、本年もどうぞ、NARAYA CAFE、ならやあんをよろしくお願いいたします。

今年の駅伝は雪かきから

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比較的長めだった年末~正月休みが終わって、ブログ読者のみなさんもいつもの生活に戻っていることでしょうか?

今年も箱根駅伝、ドラマがありましたね。
青学優勝おめでとう。
何年か前、青学の一年生の子たちが足湯に寄っていった気がするけど、その中に「第3代山の神」もいたかなぁ、、、と思い返しています。

さて、いつものように交通規制を見越して早めに店にきて準備をはじめましたが、前日元旦に降った雪が積もり、寒さでバリバリに凍っていました。



今年の箱根駅伝の日は雪かきから始まりました。
雪かき好きの僕としては、今シーズン最初の雪かきやりたいところでしたが、



今日は大学時代のボート仲間が多数手伝いに来てくれる日。
男手はたくさんあるので、助かりました。



女性陣はおにぎりの準備を開始。
ボート部時代、クルーによって発艇時間の異なるレースの日にはおにぎりが付きものでした。
いわば僕らボート部員にとってのソウルフードです。
駅伝選手達を見ながら、大学スポーツに打ち込んでいた頃を思い出しました。




いつものことですが、選手通過時刻になると足湯はすっからかんです。
そこで僕は、この日唯一の「店主らしい仕事」店番をします。
この間に、焼き芋を仕込んで、お客さんがどっと駅へと上がってくるときに焼き上がるようにします。



僕はこのアングルから駅伝観戦しました。




おっ、日大のダニエル




その後、選手が全員通過してからゴールまでの間が最も盛り上がる時間帯なのですが、今年は前日の雪で交通が乱れた影響もあってか、例年と比べて観戦客は少なめでした。



お客さんが切れ始めてからは、足湯で宴会です。
今回はうちの子とボート仲間の子ども達も立派な戦力として手伝ってくれました。
写真は酔っ払ったおじさんが「ワイン飲んでみる?」と子ども達をからかっている図

駅伝選手と仲間達から元気をもらい、今年も頑張れそうです。

新NARAYA計画についても随時、情報発信していきたいと思います。

冬期休業中(スタッフの募集は引き続き行っています)

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NARAYA CAFE、ならやあんは2015年1月14日(水)~2月26日(木)の期間、冬期休業となります
2月27日からは通常通り営業いたします

休業期間中のお問い合わせなどありましたら、ホームページ(お問い合わせフォーム)からお願いいたします



また今年度は事業拡大を予定しており、新規スタッフも募集しています

業務内容:ホール、レジ、調理、店舗・足湯の清掃などNARAYA CAFEの業務全般を
     状況に応じてやっていただきます。 

勤務時期:2015年3月~

勤務日 :土日・休日を含む週3~4日程度
     
勤務時間:9:30~19:00頃(時短勤務も可)

スタッフ募集についてのお問い合わせもホームページ(お問い合わせフォーム)からお願いします

ミャンマー旅行記1(東京編)

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NARAYA CAFEマスターのあどぅーです。

毎年のことですが、1人で旅に出ています。
子ども達もこのサイクルを理解してきたようで、末っ子は「あいくんの保育園の発表会までには帰ってくるんでしょ」と言うし、10歳の長女に至っては「お父さん1人で遊びに行っているなんて友達に言うの恥ずかしいから、やめろ!」と言ってきます。

そのときは「何が恥ずかしいことがあるか!お友達にも堂々と言いなさい!お父さんは真剣に遊びに行くんだ!!」と言ってはみたものの、はたしてどれだけの人に受け容れられるだろうか、、とも思います。


今回の目的地はミャンマーにしました。

ミャンマー、、、僕の好きなインドシナ半島で唯一行ったことのない国です。
最近アウンサウンスーチーさんが開放されてから雪解けムードとなって、欧米などからの経済制裁は緩んでいますが、今も軍事政権が支配していて、自由に旅行できる国ではありません。
とはいえだいぶ自由経済化が進んで、日本からの投資も増えています。
昨年からANAが成田~ヤンゴン直行便を飛ばすようになり、インターネットによるビザ申請も始めるようになりました。
そうなると、アジアのことだからあっという間に変わってしまう可能性があるので(すでに遅いかももしれないけど)、「行くなら今でしょ」という気持ちになりました。

昨年夏に家族で行ったチェンマイからみたら山向こうはもうミャンマーで、ミャンマーから出稼ぎに来る人も多く見かけたし、宿泊したHoshihana Villageで食べた食事も、ミャンマーに住むタイ族の料理(タイヤイ料理)でした。
そういう意味では、僕の中では今回の旅は夏の旅の続編です。
陸路国境も少しずつ開放されているようで、他のインドシナの国々(タイ・ラオス・カンボジア・ヴェトナム)が似ているけれど少しずつ違うように、ミャンマーという国の雰囲気がどんなものなのか感じてきたいと思います。


さて、子ども達のイベントなどの合間を縫って設定した今回の旅行期間は9日ほどなのですが、出発日を16日(金)と設定してミャンマーのことを調べていたら、僕の好きな旅行作家、下川裕治さんのブログで「講演会のお知らせ”ミャンマー北部から最南端へ。少数民族のそれぞれの民主化”」というのが目に入りました。
出発前夜に東京で開催、しかもテーマがミャンマーというタイムリーな偶然に早速申し込みました。




下川さん、著書はいくつも読んでいるけれど、直接ご本人とお会いするのは初めてでしたが、想像通りの雰囲気の方でした。ローカルな人達の目線で、ゆる~い旅をするのだけど、その裏にある現実を鋭く描写する、旅行作家でありながらジャーナリストであるような作風で、僕の理想とする旅行作家です。

そんな下川さんの視点から今のミャンマーを読み解いたすばらしい公演でした。
公演ではいくつか印象に残った言葉がありました。
ミャンマーというのは多民族国家で中心のエーヤワディー川流域の平地に主流民族のビルマ族が住み、その周縁を少数民族が取り囲んでいるという構造です。
だからミャンマーに行くのにヤンゴンの空港から入るのと、タイや中国との国境から入るのとでは国の印象がだいぶ変わってくるとのことです。
下川氏曰く「長いものに巻かれたい人はヤンゴンの空港に入るのが良いでしょう」

しまった、、、今回はインターネット申請のe-Visaがヤンゴンあるいはマンダレーの国際空港からの入国しか認められないので、ANAの直行便を使ってヤンゴンからインすることにしてしまっていました。
とはいえ帰りはタイと国境を接するシャン州を通って(一部通れないところがあるので国内線の飛行機を使いますが)、陸路国境(タチレク)を通って、チェンラーイ~チェンマイと抜けてこようかと思うので、下川さん流の旅を実践することになります。
タイとの国境の町、タチレクは4年前に訪れて半日観光し、しつこく幼児売春を斡旋されたブラックなイメージの強いところです。
そのとき「ミャンマーはこんな国じゃないはずだ、、、もっといいところもあるに違いない」と思ったことがベースにあって、僕のミャンマーに対する憧れを強くさせています。



公演後は著書をいくつか買って、サインもしてもらいました。
NARAYA CAFEのライブラリーの蔵書にします。


その後、すでに子ども達の寝ている小田原の自宅に戻って、翌朝の成田便に間に合わなくはないのですが、以前から泊まりたかった東京のゲストハウスnuiの空室を3日前くらいに検索したら空いていたので、今晩は東京に泊まることにしました。




ということで旅行初日は東京でバックパッカーをすることになりました。
ドミトリールームに入ると、早速下のベッドのオーストラリア人女性から声をかけられました。
「Hi, I’m Christina, Where do you come from?」
「Japan」
その瞬間からすでに旅ははじまりました。

どうやら同じ部屋に居るのが韓国人の団体さんばかりで英語も得意じゃないので、ストレスが溜まっていたようで、僕にマシンガンのように話しかけ始めました。
その後、一緒に1Fのバーに行きましたが、ひさびさの英語のシャワーを存分に浴びて楽しかったです。



ちょうど、韓国の卒業旅行シーズン(韓国の大学受験は11月で新学期は3月から)なので、韓国人の若い子が多かったです。
一緒に話した子達は、全寮制の高校(日本で言うとさしずめラ・サールみたいなところでしょうか)を卒業したばかりで(若い!!)、みなそれぞれの大学に進学が決まっているインテリたちでした。
中には東北大の理学部に来年から留学が決まっている子もいました。

日本語を話せる子もいたし、たまたま居合わせた同郷の韓国人(こちらは社会人)と話が盛り上がっても、「Sorry ,speking Korean」と僕に気を使ったり、なにより高校の卒業旅行で外国へ来るという姿勢がすばらしかったです。
彼らのような国際感覚を持った若い世代が育っていると思うと、韓国も楽しみですね。
ナッツリターンしちゃうような人ばかりではないようです。

以前、まだ出来たての時にこの1Fのカフェバーだけは見に来たことがありましたが、夜に来たのは初めてです。
宿泊の外国人達もいますが、半分以上は日本人でした。



蔵前のこのあたりのエリアは、クリエイティブ系の業種の集積も進んでいるようで、立ち飲み感覚でバーに来て、プチ国際交流も楽しめるという理想的な姿となっています。
このゲストハウス、Backpackers Japanという会社が運営しているのですが、その理想とするコンセプトにはとても共感します。
とくに従業員に福利厚生のひとつとして提供している「Trip off」という有給休暇制度がすばらしい。
ここの従業員(多分正社員だと思いますが)は「1年に一度、2週間、1人で、ここではないどこかへ旅をする」ことになっているのだそうです。

これを見たとき、正直「やられた~!」って思いました。
それってまさに僕が今やっていることで、将来、従業員にも広げられたら良いなと5年前くらいから思っていました。

そんなわけで、僕の1人Trip offは東京からスタートしました。

(続く)


ヤンゴンにて

ミャンマー旅行記2(ヤンゴン・バガン編)

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いよしよ僕のあこがれの国、ミャンマーにやってきました。

ヤンゴンの空港に降りての第1印象は
「思ったより都会だな、、、」でした。

数年前までの他の人の旅行記や旅ブログなどを見ると、「乾期は停電が頻繁にあるので町が暗い」とか、「会計はほとんどUS$札でしかもピン札じゃないと受け取ってもらえない」(この話は確か去年のNHKの朝のニュースでもやっていた気がする)というので、心してきたのですが、実際来てみると、町中LEDがきらきら輝いているし、チャット札もATMで簡単に下ろせるし、ことヤンゴンに関しては、他のアジアの国々となんら変わらないレベルになっていました。
でもこれも、昔のミャンマーを知っている人に言わせると、ほんのここ数年のことだそうです。

アジアはほんと、変わり始めると早いです。
極めつけはe-VISAで電信申請して1日で来てしまったのも拍子抜けだったのですが、イミグレではほとんどフリーパスで宿泊のホテルすら聞かれない。
一応、陸路国境から出国したい旨を伝えると、「Yes, You can go any place!!」とか言ってきます。
「それ違うでしょ、カレン独立軍のいる山の中とかはいっちゃだめだよね、、、」とこちらが突っ込みたくなるような始末です。

続いてビックリしたのが、道行く車の新しさ。
走っているのはほとんど日本の中古車だっていうので、どんなぼろい車が走っているのかと思ったら、日本のそこいらの中古車販売店で売っていそうなほぼ新品の中古車ばかり。
乗ったタクシーもエンジンをかけると「ETCカードが挿入されていません」なんていう感じです。

ということで、至って快適に(3日前にagodaで予約した)ダウンタウンのホテルにチェックインして、晩飯にくりだしました。



19th Streetという、露店の串焼き屋が多い通りで生ビール。
ヤンゴン、生ビール安いです。
1杯600チャット(約60円)、10杯飲んでも600円、、、日本の1杯分です。
これでホテル代が安かったら言うことがないのですが、、、逆にホテルのコストパフォーマンスは現時点では東南アジア最低レベルではないでしょうか。



翌朝は夜明けとともに、ヤンゴンでここだけは抑えておくべき観光名所、シュエダゴン・パヤーへ
まだ夜も明けきらぬうちから、祈りをささげるヤンゴン市民たちで賑わっていました。



仏像のあたまの後ろにもLEDが輝いていています。
これで本当にありがたいのだろうか、、、と日本人だと思っちゃいますね。





ミャンマーの寺院の面白いところは仏像だけでなく、民間信仰の精霊神のようなやつ(「ナッ」というそうです)とか、ヒンドゥーっぽい神様とかが混ざっているところです。
やはり昔から多民族国家だったからなのでしょう。



参拝客達は、それぞれ決まった祈り場所があるようで、いくつかのグループに分かれて参拝しています。
「うむ、確かガイドブックで自分の生まれた日の曜日によって分かれていると書いてあったぞ」と思い出しつつ、自分の生まれ曜日を調べてくるのを忘れていました。
「どうしよう、参拝できないな」と思っていたら、「Free WiFi」の表示が目に飛び込んできて、iPhoneをいじるとネットに繋がり、自分が「水曜日生まれ」ということが判明しました。
しかも水曜日は午前か午後かでさらに参拝場所が分かれてくる特別な曜日です。



あったここだ。
僕は早朝に生まれたみたいなので、午前中、こちらのカテゴリーになります。
水曜日かぁ、なんだか特別感があってうれしい。



ということで、このアングルから拝んできました。


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さて、つづいて旅は仏教3大遺跡(アンコールワット・ボロブドゥール・バガン)のひとつ、バガンへと向かいます。
前の2つは以前行ったことがあるので、これで僕としては仏教3大遺跡制覇、、ということになります。



ミャンマーにもLCCが誕生したようで、その名もゴールデンミャンマー航空を使いました。
ネット予約でクレジット決済、Eチケット印刷で、他の国のLCCと同じように簡単に購入できます。
さらに良いことに、この会社、先進国のLCCのように「今買うと安いけど、後で買うと高くなっちゃいますよ!」と煽ることなく、前日に買っても同じ料金なのです。(もちろん満席になったらダメですが)

他の国営の航空会社などが150ドル以上するところ、63ドルで行けます。
確かこの便を予約したのは3日前だったけど、今回、好印象だったので、バガンの帰りのバガン~マンダレー便も昨日、ホテルのWiFiから予約しちゃいました。47ドル也。



到着した日は、乾期のバガンとしてはめずらしく、結構はげしい雨が降りました。
いざ、遺跡観光へ行こうとしたところに雨だったのですが、今回ここだけはプール付きの快適なホテルだったので、プールサイドでゆっくりすることにしました。
もちろん、WiFiも入るし、遺跡も1つ見えているし、まあいいでしょう、、、




雨が止んでから(電動)自転車で散策



個々の寺院の入館料的なものはなく、外国人は空港に到着した時点で、「バガン入域料」という形で20ドルほどを一括で徴収されます。
これであとはフリーパスです。

ホテルはオールドバガンという遺跡の集積するエリア(近年の法律では建築禁止エリアになったため、このホテルは既存施設の例外扱いになっています。)にあるため、遺跡散策には便利です。
とりあえず、シュエグーチー・パヤーという寺院に登ってみます。



バガンの遺跡群、仏塔がかなり広範囲にちらばっていて壮観です。
アングルによっては見渡す限り続くようで、往時の繁栄がしのばれます。

その後、遺跡売り子の女の子が「いまこの辺お祭りやってるのよ」というので、かなりローカル色の強いお祭り会場へ行ってみました。



こちら手動のメリーゴーランド



こちらは手動の観覧車
これをどうやって動かすかというと、、、これがすごいんです。
男達がヒップホップのミュージックに合わせて、観覧車によじ登って、チームワークでうまく体重を傾けて回すんです。
あまりにすごいので動画撮っちゃいました。
日本に帰ったらアップします。




翌日は自転車(こんどは手動、昨日の観覧車に感動したわけではないですが、、、)を借りて、メジャーな遺跡をひととおり散策しました。



こちらは上に登ることが出来る遺跡では最も高いシュエサンドー・パヤー



上からの景色はこんな感じです。



アーナンダ寺院にあった仏像(入口の左右に配置されていた)
なんだかセクシーなポーズと表情をしています。



この子は寺院本体ではないけれど、寺院に隣接した眺めの良いテラスに案内してくれました。

ちなみに、売り子の子ども達の客引きはかなりしつこいです。
そればかりか、英語・日本語・韓国語・フランス語と言語を自在に変えて、5~6カ国語対応しています。12~3歳の子どもがですよ。
10年以上前、アンコールワットに行ったときも、子ども達の語学力に感動したことを思い出しました。
毎日、朝から晩まで外国人講師とフリーの会話授業をしているようなもんですよね。
実践会話恐るべし、、、



バガン最後の夜は、僕が以前いた会社のM先輩と食事しました。
年賀状で「最近、ミャンマーの案件をやっている」とのことだったので、
「来週ミャンマー行こうかと思うんですけど、もしかして行ってたりしないですよね」とメールしたらドンピシャで現地にいました。(正確に言うと僕と1日違いでバガン入りするところでした)

素敵な偶然で楽しい夜を過ごしました。

明日はいよいよタイと国境を接するシャン州へと向かいます

(続く)

ミャンマー旅行記3(鉄道編)

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(現在ミャンマーの辺境にいるためネット接続が不安定です。そのためとりあえずテキストだけアップし、画像は順次後から挿入することにします)

2泊滞在したバガンを後にしました。

最終日、ようやく晴れたので、遺跡からの日の出を見るべく、シュエサンドー寺院(遺跡に登ることができることで人気のスポット)に行ってみると、さすが観光シーズン、すごい人でした。



そのため最上段はあきらめ、その下の段くらいで東側の場所を確保して、だんだんと白んでくる空を見ながら日の出を待ちました。
この時間帯の澄んだ空気と、朝靄の中に浮き上がってくる遺跡群、、、これは一見の価値ありですね。



思わずパノラマ撮ってしまいました。



日の出と同時くらいに沢山の気球が飛び立ちます。
気球に乗って空から遺跡を見るツアーが人気だからです。

バガン遺跡、空港からも近いし、ホテルも整備されてきているので、例えばうちの両親なんかに勧めても良いかなと思います。
バンコクに何日か滞在してから、ヤンゴンかマンダレーにひょいっと飛んで、国内線に乗り継げばその日のうちに来れちゃうし、、、



ということで、空港に近い立地を活かして、前のブログにも書きましたが、またしてもミャンマーの格安航空、ゴールデンミャンマー航空を使ってマンダレーへと向かいました。


マンダレー空港到着後は、都心へ向かわず、そのままタクシーカウンターで「ピン・ウー・ルイン」と告げて直接タクってしまいました。
マンダレー空港がかなりマンダレー都心と離れているので、街に出てバスなどに乗り換えるより、かなりの時間短縮になるからです。
もはやバックパッカーの旅行の仕方ではないですが、、、



これまた空港タクシーは、日本の中古クラウン(10年落ちくらいでしょうか、新しい)。





しばらくは高速道路のようなところを走りますが、途中からものすごい峠道になります。
上り下りそれぞれ一方通行の別ルートになっています。
(日光いろは坂みたいな感じですね)



途中、ドライブイン的なところに立ち寄って休憩
ずっと上りが続くので、オーバーヒートをケアしたり、整備している車もあります。



こちらがドライバーさん
英語は全然しゃべれないけど、優しい人でした。
お茶代支払いしようとしたら、「いいよ、いいよ」的な感じでおごってもらってしまいました。



空港からは2時間半ほどでピン・ウー・ルイン(旧称:メイミョー)に到着しました。
急にコロニアルな建物が目について、観光馬車なんかも走っています。



今回宿泊したのはヒロミホテル、日本人と結婚したミャンマー人の奥さんが切り盛りしていて、日本(大阪)に17年ほど暮らしていたそうです。
彼女の日本でのニックネームが「ヒロミ」さんだったため、ホテルの名前にしたそうです。





バスタブも付いて、広めの部屋にNHKも入って、35ドルでした。(直接予約した場合、agodaだと6000円くらいになっちゃうとのこと)
ヒロミさんがいれば日本語も通じるし、コストパフォーマンス高いと思います。



その後は自転車を借りてピン・ウー・ルイン散策しました



僕がこの町に来たかった理由のひとつは、ここがNARAYA CAFEのある宮ノ下と似た生い立ちを持っているからです。
イギリス植民地時代に、ここはヤンゴン(当時はラングーン)など平地の暑さに辟易したイギリス人によって、避暑地として開発された町です。アジアには他にもインドのダージリンやヴェトナムのダラットなどそういう生い立ちの町がいくつかあって、高地にあるため「ヒルステーション」と呼ばれています。
日本でも明治時代以降、軽井沢や日光、箱根が横浜などに住む欧米人の夏の避暑地として開けてきたので、これらも広義のヒルステーションと呼んでも良いのではないかと思っています。

そういう場所は欧米流の暮らし方や文化がダイレクトに伝わるため、世代交代が進んだ今でも、そういった避暑地の文化というか香りが残っていたりします。
そこで、現地に行って見て、そんな香りを(もし残っているならば)嗅いできたいという一心で、ここを今回のルートに組み込みました。
ですが結論から言うと、コロニアルな建物など建築遺産は沢山残っているけど、「ここはちょっと違うぞ」感というか文化の香りはあまりせず、町を歩く限りは「That’s ミャンマー」という感じでした。
むしろミャンマーが貧しく、観光開発の投資が全然入らなかったために建物が昔のまま残っているというべきかもしれません。

ただ、今回訪れた植物園や(パブリックスクールの名残でしょうか)学校が沢山あったので、そういう面での遺産はしっかりと残っているように思いました。
ここの学校で英語を身につけ、週末に植物園でデートをした知識層は、いまイケイケのヤンゴンや海外で活躍しているのではないでしょうか。

話が長くなってしまいましたが、まず行ったのは植物園






すごく良いところでした。
イギリスの造園技術の結晶ですね。
デートをするカップルがいたり、ちょっと悪そうなお兄ちゃん達がいたり、市民の憩いの場になっています。



ここにはなぜか中国風(?)の棟が建っていて、登るとピン・ウー・ルインの町を見渡すことができます。



またパノラマ



ここは町の中心、時計塔です。(これもイギリスっぽい)



この町はマンダレーから中国国境へと続く物流の大動脈が通っているので、大型車がひっきりなしに通り、交通量が多いです。
ここを自転車で走るのは生きた心地がしなかった。

夜は屋台メシにしようかと思いましたが、ミャンマー語わからずコミュニケーションとれないと思い



はやっている屋台を見つけて、お持ち帰りメシにすることにしました



こちらはたこ焼きです。
でもひっくり返して丸くしないので、半球状のまま売ってます。
中の具はチリトマトと卵と豆の3種類
結構おいしかった。



食卓はこんな感じでNHK見ながら食べました


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翌朝はシポーという車だと3時間くらいの町にその倍の6時間かけて汽車で行くことにしました。
ミャンマーの鉄道、初挑戦です。



8時半発の列車なので、「多分遅れるでしょう」と見込んで8時に出ようとしていたら、ヒロミさんに「チケット売り切れちゃうといけないから7時半には行った方がいいよ」と言われ、送ってもらいました。



確かにどこから集まってくるのか、すでに欧米人が沢山来て並んでいました。



チケットを確保したけれど、まだ列車は入線していないので、駅横のマーケットを散策



はやっている屋台発見。
こんな小さい子も食べてる、おいしそう、、、



早速、腹ごしらえ



そうこうしているうちに列車がやってきて



僕の乗る車両も含め2両増結しました



アッパークラスは1列・2列のなかな快適なシート配置となっていました。



さっそく買っておいたビールをプシュー
中国国境に近いので、大理ビールが売っていました。



途中大きな駅に着くと停車時間が長いので、お姉さんがいろいろ売りに来てくれます
(なんだ、ビールもあるじゃん)



列車は1日1往復だけなんだけど、ちょうど昼時に停車するこの駅は、即席屋台村になっていました。



こちらも



さすが欧米人を相手にしているので、「フィッシュ、チキン、ベジタブル?」みたいな感じで手際よく、僕はフィッシュを選びました。
おいしかった。
付け合わせに納豆(ややスパイシー)があったことに、シャン州に入ったことを感じました。



そのうちに車窓はだんだんと山がちに



列車は速度を落として、急カーブをキーキー曲がっていきます。
ちなみにこの列車、ものすごく揺れます。上下にも左右にも。
最初、欧米人の皆さん、バックパックを網棚に載せていたんだけど、いくつか落ちてきて、縛り付けるか下におろすかしていました。



大きな鉄橋が見えてきたところで、駅に停車します。
いよいよこの路線の最大の見せ場、ゴッティ鉄橋にさしかかります。
この鉄橋、イギリス統治時代に作られた東洋第2位の高さを誇る土木遺産ですが、なによりそんな古い橋をガタガタおんぼろの列車で渡るということが最大のアトラクションだと思います。



駅で一呼吸整えた後、ゆっくりと動き始めます。
出山の鉄橋で登山鉄道は観光客のため徐行しますが、こちらは車両が揺れると危ないという理由から最徐行で渡ります。

車内の盛り上がりも最高潮で、みんなipadやらカメラやらで写真を撮っています。



確かに高い



振り返るとまたすごい
今日は良い天気だったから良かったけど、雨期でちょうど渡るときにスコールでも来ていた日には生きた心地がしないでしょう



踏切も人が閉めてます。
1日1往復しかしないから、だれか村の人が頼まれてやってるんでしょうかね



駅に停まるたびに大量の荷物が積み出され、また積み込まれていきます
そのため大きな駅では10分~20分停車します



こんな荷物もありました。メェー



家との距離もまた近い
ときどき手を振ってくれる子どももいます。



結局、9時頃出て3時半に着いたから6時間半かかってシポーに到着
けれど、途中見所はあったし、駅のたびに降りて散策できたし、本(下川さんにサインをしてもらったやつ)も一冊読み切ったし、なかなか充実した1日でした。
料金は僕の乗った区間(ピン・ウー・ルイン~シポー)で2750チャット(約300円)です。
日本だったら小田原~大磯間、20分くらいしか乗れないけど、同じお金で6時間も乗れると思うと、電車好きにはたまらないですね。

この路線、おすすめです。



今日・明日とシポーに2泊して、トレッキングを楽しむ予定です。(続く)

ミャンマー旅行記4(トレッキング編)

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ここシポーに来た目的は何かというと(もちろん鉄道に乗りたかったというのもあるのですが)、ここでトレッキングを売りにして長いこと人気を保っているゲストハウスがあるからです。
その名はMr.チャールズゲストハウス。

Mr.チャールズといっても西洋人が経営しているわけではなく、中国系のミャンマー人でピン・ウー・ルイン(メイミョー)の英国系の学校で教育を受けたため、クリスチャンネームでチャールズが付いているのだそうです。
少し前(というかだいぶ前と言うことが発覚したのですが)のガイドブックにはMr.チャールズをはじめとする4人のガイドが山岳民族の村などを案内するトレッキングが人気、、、と書いてあり、Trip Advisorなどを見ても高評価の口コミが非常に多いです。
バガンのように空港など交通の立地に恵まれているわけではないのに、これだけ人を集めているのだから何か秘訣があるに違いないと思い、なんとなく実際に見てみたくなり来てしまいました。
(あとでガイドに聞いたところ、Mr.チャールズはもう70歳近くでガイド業は引退していて、彼の息子と娘がゲストハウスを手伝っていて、おもに村の出身者がガイドをやっているそうです。今やガイドの数は総勢20人以上とのこと)



駅から送迎でゲストハウスに来ましたが、とりあえず部屋はたいしたことないです。



ゲストハウスのハード自体にあまり見るべき物がないので、明日のトレッキングをどうしようか思案していると、1人のガイドに話しかけられました。
「日本人ですか?」というので、「なんで分かるの?君は中国人、韓国人、日本人をぱっと見でわかるの?」と聞いたら、少し考えてから「日本人は勇敢そうに見えるけど、他はそうじゃない」となかなかしっかりした答えがかえってきました。(というかお世辞がうまいのか?)

彼、(写真を撮り忘れちゃったけど)すごく目がきらきらしていて、今の仕事に充実をしている感じを受けました。
そして、彼が言うには
「日帰りのトレッキングの中で1番長いハードなコースがあるんだけど、まだ1人しか申込みがなくてそれだと催行されないんだけど、君なら歩けそうだからやってみない?2人いれば催行できるよ」
とまた上手に誘ってくるのです。



確かにパンフレットにも「Difficult Trek」と書いてあって、通常だと1泊2日のフルコースのトレッキングで行く場所をほとんど網羅しているようです。正味1日しか時間がなく、かつ欲張りな僕には最適なコースでした。
「OK、それやるよ」
「じゃあ、ロングコースだから通常8時半スタートだけど、明日7時半にスタートするね」
「君が行くの?」
「いいえ、それはこれから決まるんだけど、僕は今日1泊2日のトレッキングから戻ったばかりだから行かないと思う」
とのことでした。



ガイド達はシフト会議中
多くの宿泊客が3時頃の列車(僕の乗ったやつ)で到着し、それから翌日のトレッキングを決めるので、4時~6時くらいにトレッキングの人数を確定し、ガイドを割り振るようです。



とりあえず街に出てローカル食堂で晩飯(豚足のカレーと付け合わせ&ご飯:これにミャンマービールを1本つけて約380円でした)



翌朝集合の時間に行ってみると、おやっ、昨日同じ車両に乗っていて話した欧米人グループ2組が、、、確か別のホテルに泊まると言っていたはずだけど、、、


聞くとMr. チャールズのトレッキングは定評があるのでそちらでトレッキングをするけど、宿泊はもっとグレードの高い中国系のホテルを選んだとのことです。なるほど。
(ちなみにMr.チャールズはホットシャワーが出ません。ぬるま湯くらい)

そこでガイドと相談がはじまり、彼らも前半僕らと一緒のコースを歩き、昼食後に村からバイクタクシーで帰ってくるという選択肢をとることになりました。
さらに飛び入りで韓国人の女性2人も入って2人の予定だったのが、結局総勢8人の大所帯になりました。




ゲストハウスから町を歩いていくとやがて町外れに



学校へ行く子ども達とすれ違います
(そうそうミャンマーはインドと同じお弁当箱「ダッパー」が普及していてよく目にします)



途中スイカが栽培されているところに立ち寄るとガイドが
「ここは1月~4月くらいの米の休耕期に中国人が農民から農地を借りて、中国輸出向けのスイカを作っています。われわれシャン人はスイカは(まずいし腹下しちゃうし)食べません。農民は借地料で潤うけれど、それで仕事をしなくなってしまう人もいるし、農薬を大量に使うので土壌が汚染されるし、長い目で見ると良くない」
と、なかなか深いところまで説明してくれます。

すると「こやつしゃべれるな」と思うのか同じグループの欧米人達の質問攻めに遭います、「中国国境までは何Kmだ」「ビルマの土地制度は?」、、、、等々
いやぁ、これを毎日やってたら英語鍛えられるわ。



その後ずんずんと山を登っていき



途中、農家の床下(シャン族の住居はタイとにていて高床式です)を借りて休憩したり



シャン族の村を2箇所ぐらい通過し



さらに登って



景色のよい涼み小屋で休憩し
(ここで会ったバイク旅行者2人はイスラエル人で兵役が終わった後の休みにアジア旅行をしているとのことでした。ワォ、無人ヘリの爆撃とかしてたのかな?さすがに聞けなかったけど、、、)



結構、年配の方々はヘタってきたけれど、「あと20分でランチ」などガイドが一生懸命励ましながら、目的地のパンカム族の村に到着しました。
パンカム族はシャン族とも違う山岳民族で、独自の文字を持っています。
入口の看板、上がパンカム語、左がビルマ語、右がシャン語だそうです。
いまいち違いが分からないですが、、



ここまで4時間半歩きました、みなさん充実の表情で記念撮影
ちなみに国籍はイングランド人夫婦2組、スコットランド人1人、韓国人(釜山)2人でした。


4時間半も歩くと、隊列が変わるたびにいろいろな人と話せて面白かったです。
ミャンマーは何日?どんなルート?みたいな話は簡単なのですが、そのうち「今はリタイアしたけど幼児虐待から子どもを守る自治体職員だった」というイングランド人の奥さんに日本の現状を聞かれたときは、なんとなくニュースで知っていることでもうまく英語にして説明できませんでした。
あとスコットランド人のおっちゃんがまた議論好きで、安倍晋三の政策はどうなんだ?三本の矢のもう1本は何なんだ?とか、、、これもうまく説明できなかった。友人に衆議院議員が2人もいるのに、、、ゴメンナサイ






村の僧院前の大きな広場にはMr.チャールズ財団(?)の寄贈した棟がありました。
ガイドツアーで知名度が上がって、長く付き合ってきている村なんでしょうね。それこそ村の有力者などとの政治的な取引も必要になってくるのかもしれませんね。




昼食はやはりMr.チャールズが契約している宿泊所兼レストランへ


1泊2日ツアーの場合はここの2Fに宿泊できるようになっています。
村の中にこうした宿泊所が4~5箇所あるとのこと



昼食はこんな感じで大皿で取り分けます。



ご飯はおかわり自由で、計3杯がっつりいただきました。
韓国人のお母さんはローカル料理苦手で、最初「私は食べない」と言っていましたが、パパイヤの煮物と煮豆がマイルドで食べられました。



その後は高台に登って村を眺めたり



お茶のプランテーションを見たり



僕らがやってきたら、ひなたぼっこをしていた村(隣村)の子ども達が、けっこう本気モードでビックリしてました。この辺まで来ると欧米人、まだ、ちょっと怖いのかもしれません。



その後は村の学校を見に行きました



村の学校は面白いことに、同じ部屋で違う科目、年齢の生徒に同時進行で授業しています。


さて、この後、バイクをチャーターして山を下りるグループと歩いて下りるグループに分かれることになりました。スコットランド人男性は最初、歩いて下りる予定にしていたのですが、英国人の仲間達に囲まれて「やっぱりバイクで」ということになり、結局、コース通りに歩いて下りるのは僕だけになってしまいました。

ガイドには「僕はバイクで下りるから、君は歩いて下りな!」と最初、冗談を飛ばされましたが、「いくつかショートカットがあるから多分2時間半で下りられるよ、一緒に行こう」ということになり、帰りはガイドと2人旅になりました。

「飛ばすけどついてこれる?」と言われたので、「もちろん、できるだけ(as long as possible)ついていくよ」と行って、川沿いで一度休憩したくらいでズンズン飛ばしていきました。






行き4時間半、帰り2時間半、距離はだいたい30kmくらいということで、心体ともに充実のトレッキングでした。
ガイド的にもこの距離を歩くのはめずらしいようで、「おー、着いたゴールだ!!」と2人でともに喜びあいました。



ガイドをしてくれたサイノウン(Sai Naung)
お兄さんもガイドをやっていてこの道に入ったという23歳、ナイスガイでした。

さて、トレッキングで意気投合した西洋人達は別の宿で帰りも別々になってしまい、同じ宿の韓国人2人はローカル飯が苦手なようだったので、一緒に飯を食いに行く人がいなくて、仕方なく屋台でシャン風のクィティアウとビールを飲んで帰って寝ようとすると、部屋の前のテラスが即席バーになっていました。

ドイツから来たカップルの、機械好きの旦那(すでに結構酔っている)が自分のi phoneから音楽を飛ばせるスピーカーを持ってきていて、レゲエがかかったりして楽しい雰囲気になっていました。

ゲストハウスのルールでは「10時以降は静かに」ということでしたが、ちょうどテラスのすぐ横の部屋の僕も参加しているしいいよね!という感じで一緒に(10時半くらいまで)盛り上がってしまいました。
なぜかその時はドイツ人が多くて、ドイツ人以外はチェコから来た女性2人組と僕だけで、「Oh! We are minority」とか言って結束したりしてました。

ただ彼らと話して残念だったのは、誰一人日本に行ったことがなくて、「行きたい」という人もいなかったことです。(昨日のトレッキング参加者も同様)
殊に好んでアジアをバックパッキングするタイプの人達は(若者も年配者も)、日本=高いし見所に欠けると感じているようです。
僕ら西洋社会以外の人間からすると、ヨーロッパは一度は行って見ないとという感覚はありますが、残念なことに、彼らからするとこれだけヨーロッパ各国から直行便が飛んでいても、日本はわざわざ(遠いし高いお金を払ってまで)行く魅力に欠けるみたいです。

(続く)

ミャンマー旅行記5(越境)

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(ミャンマーの通信事情が悪くて書きためていた原稿があったため、本日は2編同時アップします)


翌日は朝ゲストハウスを出て、ラショーという空港のある町まで移動し、そこから国内線でタキレィック(タチレクと書いていましたが、こちらの人の発音の合わせて表記を変えました)というタイ国境の町に移動し陸路国境を越えてタイまで移動します。
飛行機はこれまたすっかり馴染みになったミャンマーのLCC「ゴールデンミャンマー航空」を使います。(マイレージがあったら入っておきたかったくらい)
ラショー~タキレィック間は週3便しか飛んでいないマイナー路線で、こういう国のことだからフライトキャンセルとかあってもおかしくないので、普通のツアーなどではやらないと思うのですが、僕一人の旅だし、まあ最悪ダメでも夜行バスでヤンゴンまで戻ってエアアジアで帰るとか、中国に抜けて昆明から戻るとか(これだと3日くらい余分にかかってしまいますが)なんとかなるだろうということで選びました。
ただフライトが飛んだとしても大幅に遅れて5時で国境が閉まってしまったら、5年前にバイアグラやら幼児売春やらを斡旋されたダークな町、タキレィックに一泊しないといけないので、それは勘弁です。
そんなことで、この日はルート計画上、最重要な日なのですが、どうなることか、、、、



ゲストハウスの説明だとラショー行きのローカルバスは7時が始発でその後8時半というのもあったと思う、、、ということなので、バス乗り場に行きましたが「8時半のバスないよ」とのこと。
欧米人ツーリストは夜行バスか鉄道を利用してシポーまでは来るけれど、さらに奥に行く人は皆無のようで、この先はツーリスト向けの交通機関には頼れないみたいです。



仕方なくまたリッチにタクシーをチャーター($40)ぐらい。
はじめおっちゃんが運転してきたのですが、おっちゃんラショーくんだりまで行くのがいやだったみだいで、途中自宅により息子と交代。



ラショーまでの道は中国国境とマンダレーを結ぶ交通の要衝ですが、日本の基準からしたらただの田舎道です。



ここを大型車ががんがん走るもんだから、追い越しの連続になって結構怖い。
しかも走っている車は中古の日本車だらけなのに、ミャンマーはなぜか右側通行なので、ドライバーとしては追い越ししにくくてしょうがない。



こちら独自のウィンカーの使い方があって、追い越される車が右にウィンカーを点滅していると「対向車あり、追い越すな!」のサインです。
(逆に左にだして「行け!」というのもあるんだけど、何度か実は来てるときもあったから気をつけないといけません)



2時間ほどでラショーの町に着いてしまいました



フライトにはまだ間があるので、ドライバーとお茶をしました。
(今度は僕が出してあげました)



それでもまだ時間があるので「お昼食べるから鉄道の駅に降ろして」といって行ってはみたものの、なんにもない駅でしたラショー駅。
マンダレー行きの始発の列車が5時に出て、(僕の乗った)マンダレー発の列車が夜遅く着くだけなので、日中はせいぜい待合室で涼んでいる人がいるくらい。



こりやダメだ
ということで、やっぱり空港で降ろしてもらいました。
こちらも小さい空港で、当然ターミナルビルなどはありません。
それどころかゴールデンミャンマーのカウンターがない!




すると「ゴールデンミャンマー?」と係員に声をかけられて、手荷物をカートに載せてくれて、ペタッとシールだけ貼られました。




しばらくすると、「ゴールデンミャンマーの人こっち」という感じて、なぜか空港内に歩いて入り




出発ゲートの前に朝礼の台みたいのが置いてあって、そこでチェックインの手続きをしてました。
うむ、LCCとしては正しい姿です。
この時点でまだ出発2時間前、「空港横の屋台で飯を食ってきます」と言って、再び外に出ました。
それにしてもミャンマーの人はなんでこんなに早く空港に来るんだろう、国際線じゃあるまいし、、




空港の横には、父母娘で切り盛りしているらしき露店のシャンヌードル屋さんがありました。





もう、どこにも行くと来ないからここで飲んでやれ、、、ということでシャンヌードル食べ納めで2杯食べました。
シャンヌードル、タイヌードルの太麺(センミー)に近い感じの米麺なのですが、独特のもちもち感があります。出てきたやつをよくほぐさないと、むちっとひっついちゃっているような感じです。



僕としては、「ここなら飛行機が下りてくるのが見えたら行っても間に合うや」と思っていたのですが、1時間前くらいに係員が呼びに来ました。
空港に行ってみると「immigration」と書いた窓口に列が出来ています。
僕は外国人特権という感じで、すっと横を通されてパスポートチェックを受けました。
そうか、国境の町タキレィックに行くのは外国に行く感覚なんだ、、、とこの時分かりました



定刻通りに飛行機が到着(結局このLCC、僕の乗った3便全てOn Timeでした)。
しかも、みんな早くから集まったため、定刻より15分ほど早く離陸しました。



空から一筋の川が見えます。
サルウィン(タンルーウィン)川です。
この川の1つしかない橋に検問があって、外国人はこの川の東西を陸路で行き来出来ないのだそうです。
(ちなみにこの知識は出発1日前の下川さんの講演から得ました)



タキレィックの空港に到着、ここも一応イミグレがあってパスポートチェック。
そのくせ「手荷物受取所がない!」と思ったら、出口を出たところにリヤカーが来ていました。



空港から国境へはサムローで行けます



タキレィック、国境の町だしタイバーツも流通している(というかほとんどの店でチャットを受け取ってくれない)し、ミャンマーの他の町とくべるとひらけているのですが、道路がガタガタなのはまだミャンマーにいるんだなと実感します。
ここでも車はけっこう新しくなっていました。



地元の人達を1人ずつ降ろしてから



最後、国境を越えてメーサイに行くという女性が1人残ったのですが、そのまま国境へ行くと思いきや両替屋さんに。その間他の客(僕)とドライバーは待っているというアジアらしい光景です。



おお、このロータリー見覚えがある。




国境横のアーケードもちらっと散策
やっぱり日本人とみると「タバコ」「バイアグラ」と声をかけられます




外国人専用のイミグレへ
陸路国境からの出国許可はここ1~2年で始まったばかりらしいので、てこずるかな、、、と思ったけど意外とすんなりスタンプを押され、晴れてタイへ





やっぱり景色変わりますね。
道路が広くて綺麗。建物も立派。タイって都会だなぁ。




モトサイをひろってバスターミナルへ
5年前に来たのでなんとなく覚えています、、、だいぶ綺麗になったきもするけど。



ところが、ここでアクシデント。
まだチェンマイ行きの最終バスがあると思っていたところ、4時半と5時のバスは週末のみ運行で、今日の最終は4時15分だったとのこと。
時計をみると4時25分、、、



まあいっか。
チェンマイまで行って、30ドルくらいのコストパフォーマンスの高いホテルに泊まってシティライフを満喫しようとしていたのですが、最後でくじかれました。
ただこういうリスクがあるため(あとミャンマーのネット環境が悪すぎたので)チェンマイのホテルを予約しておかなかったのが正解でした。



ということで、こういうエアコンバスではなくて(ちなみにこちらは夜行のバンコク行き)



5年前にも乗ったクーラーなしのおんぼろバスでチェンライまで行って宿をとることにしました。


タイ北部に来るのは学生のときに最初に来てから、ラオスの帰りに来たときも入れると通算5回。(つい半年前も家族で来ているし)
いつ来てもリラックスできる良いところです。
なんだか自分としてはすでに「帰ってきた」というムードになってしまっています。



見たことのある景色もぽつぽつ目に映るようになりました。
ここは5年前、メーサロンから乗り合いソンテウで帰ってきて、この路線バスに乗り換えたバス停です。


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ということで、まだ旅は続くのですが、ミャンマーを後にするタイミングで、なんだか自分としては締めくくりたい心境になってしまいました。

確かに5年前、タキレィックという飛び地に足を踏み入れただけで感じたミャンマーは現実のミャンマーではあったけど、本来のミャンマーではなかったように思います。
ミャンマーの人々(とひとくくりにいって良いか分かりませんが、ビルマ族のバガンもシャン州もどちらも)はちょっと控えめだけど、基本的に優しい人々でした。
例えば、単にタクシーに乗っただけでも乗車時間が長い場合は水を買ってくれたり、行き先に困っていると(自分は分からなくても)周りの人を巻き込んでいろいろと聞いてくれたり。
ただ思った以上に英語は苦手でした、元英領植民地だし、部族毎に言葉が違うので、東アフリカの人達のように多文化社会ゆえに英語が流通しているのではないかと少し思っていましたが、実際行くと全然通じませんでした。(例外はバガン遺跡の客引きの女の子)
あと数字が(ビルマ文字で書いてあるので)読めないというのが、すごいカルチャーショックでした。
(字が読めないタイやカンボジアでさえ、数字だけは読めたように思います)
まるで、漢数字を使って、右から左に字を書いていた江戸時代の日本のようでもあります。

だけど、(不完全ながら)陸路でタイに渡ってみて感じたのは、(ほぼ先進国といえる)タイとの落差が大きすぎると感じました。
もちろん道路などインフラの整備度合いが大きく違いますが、殊に農村同士を比較した場合、タイの農村は時給自足経済以外にも現金を得られる正規の雇用があって、豊かなんだなぁ、、と思います。

ミャンマーの農村はまだ正規の方式で現金(マネー)を得られる手段が限られているので、遺跡で待ち構えて、似たり寄ったりの絵はがきや工芸品を売ったり、売春をしたりしてしまうんだと思います。
タキレィックのような国境ビジネスの飛び地が存在するのも、この落差と国境という境界線が作り出す立地条件が背景にあるんだと感じました。

もちろん、この問題はそんな簡単ではないし、タクシン政権の肩を持つつもりもないけれど、それをなんとなく肌で感じられたので(自己?)満足しています。

ミャンマー、また何年かしたら来てみたい国です。
良い具合にこの落差が埋まっていると良いですね。
今回目にした、Mr.チャールズのガイド業というのはそのための一つの種が実った姿だと感じました。

ミャンマー旅行記6(おまけのチェンマイ・ソウル:完結編)

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すでに帰国して子ども達と暮らす、日常の日々に戻っています。

ずっと旅に向いていたテンションが一気に日常に戻り、しばらく「帰国ブルー」とでも言える状態になっていました。
でもここで旅をしめくくらないと、(気持ちの面で)次に進めないと思い、PCに向かいます。




チェンマイのバスターミナルはナイトバザールのすぐ横です。
(そういえば、そうだった、、、)




ナイトバザールを横切って




マッサージ屋が何軒も建ち並ぶ中心街の一角に安宿発見
(最後の一泊くらいゴージャスに、、、とも思ったのですが、ついつい貧乏性の僕は250バーツのファン付きの部屋を選んでしまいます。)




うん、ここで充分




夜飯はやはり屋台を探してタイ風細麺(センレック)
思えば昼も麺だった、、、、






翌朝はさらに懲りずに麺を食べました。
チェンマイ近辺の名物カレー麺「カオソーイ」です。
ネット環境が回復したので、チェンラーイ周辺のおいしいカオソーイ屋を調べたところ、宿泊場所から徒歩1分の場所に名店がありました。



美味しかった




ちなみに朝7時半頃行ったのですが、常連さんらしき人もちらほら




その後、バスでチェンマイへ向かい、バスターミナルから市街地へ向かう途中、ワローロット市場にほど近いところに綺麗めのホテルがあったので、夜の飛行機までデイユースで使うことにしました。
値切ったけど宿泊費とほぼ変わらず700バーツ(2000円ちょっと)。

とはいえ適当に探しても、このレベルのホテルに行き着き、2000円くらいで泊まれるというチェンマイという町のコストパフォーマンスは高いですね。




とりあえずトゥクトゥクを拾って




半年前に来たばかりの見慣れた風景を見ながら




今日の目的地はここ
ディンディーという土の家のカフェで、経営者は日本人の方です。


前回、7月に来たときも行きたいと思っていたのですが、エレファントキャンプなど子ども達中心の日程調整をしたため行けませんでした。
それがチェンマイで唯一心残りだったので、今回来てみました。




客層はチェンマイ在住日本人の方が多いのかなと思いましたが、周りはほとんどタイの女性達でした。
チェンマイ大学の敷地の中というカルチェラタンな雰囲気の場所に、土の家(アドビハウス)というインターカルチュラルなインテリアがマッチしています。




カレン族のレシピで作ったサラダと特性チャーハンを注文して、脂っこいミャンマー料理(とあとは麺ばかり)だったお腹の中を浄化しました。



ちょうどこの日はあまり忙しくなかったので(前日までは大学の卒業式がらみで忙しかったとのこと)、オーナーのAyumiさんといろいろとお話しすることが出来ました。

こちらディンディーのHPにもお店が出来るまでの改装の様子が載っていますが、お店が完成してオープンしたのが2007年3月とのことで、2007年9月にオープン(完成は8月)したNARAYA CAFEとちょうど同級生(というべきなのか?)です。




その後はホテルに戻り、近くのワローロット市場へ
スパイスなど買い込んできました




最後は日暮れ直前になって、半年前に子ども達と写真を撮った3人の王の広場へ




ここは毎週金曜日にファーマーズマーケットが開かれています




ミャンマーにはなかった、おしゃれめなお土産をちょこっと仕入れ


再び町に戻ったらスポーツバーの店員から「日本人か?」と声をかけられ、「日本の試合やってるよ」とのこと



おお、ちょうど後半終了間際、ビールを一杯飲みながら観戦しました。




ああ、帰りたくないなぁ、もう1泊したいなぁと思いながらタイマッサージに行ってからホテルへ戻ってシャワーを浴びて



タクシーで空港に向かいました
フライトは23:50発、ホテルを出たのは22:00
チェンマイは空港が近くて良いです。



帰りはソウル(仁川)まで大韓航空のチケットを片道で買ってあり、ソウルからANAで帰って来ます。
行きの到着地と帰りの出発地が違うオープンジョーという形式でANAのマイレージを利用したのですが、この荒技(前回ロシア・フィンランドに行くときにも使った)4月から使えなくなってしまうのです。オープンジョーは同じゾーン(例えば東南アジア・中国といった区分)内でないとできなくなるそうです。

まあ、とりあえずここまでは順調で韓国人団体客を満載した大韓航空ソウル行きに混載されて、一路ソウルへと向かいました。




フライトは予定通りに飛んで、ソウル仁川空港に翌朝着いたのですが、ここからが大変でした。
入国審査は韓国人と外国人で分けられているのですが、なんと韓国人ゲートは10以上あるにもかかかわらず、外国人ゲートは2箇所しかないのです。
(奥で長蛇の列が出来ているのが外国人ゲート)




マジかよ」と思いつつ、列に並ぶしかない外国人の僕は仕方なく並びます。
それにしても遅い。
われわれ外国人は指紋をとったりもするため、1人にかかる時間も多いため、列は遅々として進みません。
電光掲示場に日本語で「ようこそ」なんて書かれると、「何がようこそだ!!」と余計に腹が立ちました。
途中から3レーン、4レーンと増やしたけれど時既に遅しという感じでした。




約1時間並んで入国審査終了
こんなのはじめてです。
ターンテーブルに行くともうすでに荷物は全て出きって床に置かれており、タイ人のファミリーなどは疲れ切った表情を見せています。

韓国にやってきた外国人観光客は、もうこの一撃で相当悪い印象を持つことでしょう。
僕としても、以前、オーストラリアに行くときなどに韓国経由を選んだことがありましたが、「もうやめよう」という気持ちになりました。

ただ「同じことを日本もやってないかな?」ということが少し気になりました。
海外旅行から成田や羽田に着くと、「帰ってきた」という開放感が先行して「日本人」と書いた入国審査ゲートをそそくさとくぐって帰ってきてしまいますが、今度は外国人ゲートがどれくらいあるか見てみよう、、、という気になりました。
こんなことしてしまっては「Yokoso Japan キャンペーン」どころじゃないですからね。




まあ気を取り直して空港鉄道へ
最近はKTXも乗り入れているんですね。
今回は金浦空港へ行かないと行けないので、KTXではない普通列車にのりました



ソウル金浦空港そばにはスーパー銭湯(チムジルバン)があって、空港連絡バスに乗って行くことが出来るという情報を得ていたので、そこに行きました。
しかし、最初は風呂に入った後、ゆっくり昼寝でもしようと思っていたのですが、韓国入管のせいで大幅に滞在時間を削られてしまいました。
ほとんど風呂に入っただけで、ふたたび金浦空港へと戻ってきました。



最後は2時間のフライトで羽田へ

旅は終わりました。


ーーーーーーーーーーーーー


ミャンマー(とくにシャン州)ではテレビもネットもほとんど見られない状態で旅をしていたので、イスラム国による日本人人質事件が大騒ぎになっていることは帰国してから知りました。
帰国後、毎日のようにニュースで事件を聞き、つい数日前まで辺境を旅していた自分と重ね合わせてみたり、国境を隔てた日本という社会の中で、ただただ人づての話を聞いて、見守ることしかできない家族のもどかしさが少し分かった気がしました。

そんな最中、箱根の母方の祖母が亡くなりました。
3月が誕生日なので、米寿のお祝いをと親戚たちで計画し始めたところだったのですが、それを待たずして亡くなってしまいました。
小さい頃、両親は旅館の仕事で忙しくしていたので、よく面倒を見てもらっていたおばあちゃんでした。
おばあちゃんは僕の帰国を待ってくれていたのでしょうか、、、亡くなったという知らせを聞いて市立病院へ駆けつけることが出来たし、映画「おくりびと」の世界のような「納棺の儀」も見ることが出来ました。

そんなことで帰国してからの10日ほどは、ミャンマー・タイとめまぐるしく旅をした10日間と対照的な静かな日々でした。
なんだか非効率きわまりないのですが、この「旅の10日間」と帰ってからの「静かな10日間」を経て、ようやく社会復帰できそう、、、というか前へ進めそうな気持ちになりました。

NARAYA Pod化計画の方も少しずつ進展しています。
昨日は材木屋さんと、今日は斎藤工房さんと打ち合わせをして、試作品の設計がまとまってきました。
次回のブログで紹介したいと思います。
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