(ミャンマーの通信事情が悪くて書きためていた原稿があったため、本日は2編同時アップします)
翌日は朝ゲストハウスを出て、ラショーという空港のある町まで移動し、そこから国内線でタキレィック(タチレクと書いていましたが、こちらの人の発音の合わせて表記を変えました)というタイ国境の町に移動し陸路国境を越えてタイまで移動します。
飛行機はこれまたすっかり馴染みになったミャンマーのLCC「ゴールデンミャンマー航空」を使います。(マイレージがあったら入っておきたかったくらい)
ラショー~タキレィック間は週3便しか飛んでいないマイナー路線で、こういう国のことだからフライトキャンセルとかあってもおかしくないので、普通のツアーなどではやらないと思うのですが、僕一人の旅だし、まあ最悪ダメでも夜行バスでヤンゴンまで戻ってエアアジアで帰るとか、中国に抜けて昆明から戻るとか(これだと3日くらい余分にかかってしまいますが)なんとかなるだろうということで選びました。
ただフライトが飛んだとしても大幅に遅れて5時で国境が閉まってしまったら、5年前にバイアグラやら幼児売春やらを斡旋されたダークな町、タキレィックに一泊しないといけないので、それは勘弁です。
そんなことで、この日はルート計画上、最重要な日なのですが、どうなることか、、、、
ゲストハウスの説明だとラショー行きのローカルバスは7時が始発でその後8時半というのもあったと思う、、、ということなので、バス乗り場に行きましたが「8時半のバスないよ」とのこと。
欧米人ツーリストは夜行バスか鉄道を利用してシポーまでは来るけれど、さらに奥に行く人は皆無のようで、この先はツーリスト向けの交通機関には頼れないみたいです。
仕方なくまたリッチにタクシーをチャーター($40)ぐらい。
はじめおっちゃんが運転してきたのですが、おっちゃんラショーくんだりまで行くのがいやだったみだいで、途中自宅により息子と交代。
ラショーまでの道は中国国境とマンダレーを結ぶ交通の要衝ですが、日本の基準からしたらただの田舎道です。
ここを大型車ががんがん走るもんだから、追い越しの連続になって結構怖い。
しかも走っている車は中古の日本車だらけなのに、ミャンマーはなぜか右側通行なので、ドライバーとしては追い越ししにくくてしょうがない。
こちら独自のウィンカーの使い方があって、追い越される車が右にウィンカーを点滅していると「対向車あり、追い越すな!」のサインです。
(逆に左にだして「行け!」というのもあるんだけど、何度か実は来てるときもあったから気をつけないといけません)
2時間ほどでラショーの町に着いてしまいました
フライトにはまだ間があるので、ドライバーとお茶をしました。
(今度は僕が出してあげました)
それでもまだ時間があるので「お昼食べるから鉄道の駅に降ろして」といって行ってはみたものの、なんにもない駅でしたラショー駅。
マンダレー行きの始発の列車が5時に出て、(僕の乗った)マンダレー発の列車が夜遅く着くだけなので、日中はせいぜい待合室で涼んでいる人がいるくらい。
こりやダメだ
ということで、やっぱり空港で降ろしてもらいました。
こちらも小さい空港で、当然ターミナルビルなどはありません。
それどころかゴールデンミャンマーのカウンターがない!
すると「ゴールデンミャンマー?」と係員に声をかけられて、手荷物をカートに載せてくれて、ペタッとシールだけ貼られました。
しばらくすると、「ゴールデンミャンマーの人こっち」という感じて、なぜか空港内に歩いて入り
出発ゲートの前に朝礼の台みたいのが置いてあって、そこでチェックインの手続きをしてました。
うむ、LCCとしては正しい姿です。
この時点でまだ出発2時間前、「空港横の屋台で飯を食ってきます」と言って、再び外に出ました。
それにしてもミャンマーの人はなんでこんなに早く空港に来るんだろう、国際線じゃあるまいし、、
空港の横には、父母娘で切り盛りしているらしき露店のシャンヌードル屋さんがありました。
もう、どこにも行くと来ないからここで飲んでやれ、、、ということでシャンヌードル食べ納めで2杯食べました。
シャンヌードル、タイヌードルの太麺(センミー)に近い感じの米麺なのですが、独特のもちもち感があります。出てきたやつをよくほぐさないと、むちっとひっついちゃっているような感じです。
僕としては、「ここなら飛行機が下りてくるのが見えたら行っても間に合うや」と思っていたのですが、1時間前くらいに係員が呼びに来ました。
空港に行ってみると「immigration」と書いた窓口に列が出来ています。
僕は外国人特権という感じで、すっと横を通されてパスポートチェックを受けました。
そうか、国境の町タキレィックに行くのは外国に行く感覚なんだ、、、とこの時分かりました
定刻通りに飛行機が到着(結局このLCC、僕の乗った3便全てOn Timeでした)。
しかも、みんな早くから集まったため、定刻より15分ほど早く離陸しました。
空から一筋の川が見えます。
サルウィン(タンルーウィン)川です。
この川の1つしかない橋に検問があって、外国人はこの川の東西を陸路で行き来出来ないのだそうです。
(ちなみにこの知識は出発1日前の下川さんの講演から得ました)
タキレィックの空港に到着、ここも一応イミグレがあってパスポートチェック。
そのくせ「手荷物受取所がない!」と思ったら、出口を出たところにリヤカーが来ていました。
空港から国境へはサムローで行けます
タキレィック、国境の町だしタイバーツも流通している(というかほとんどの店でチャットを受け取ってくれない)し、ミャンマーの他の町とくべるとひらけているのですが、道路がガタガタなのはまだミャンマーにいるんだなと実感します。
ここでも車はけっこう新しくなっていました。
地元の人達を1人ずつ降ろしてから
最後、国境を越えてメーサイに行くという女性が1人残ったのですが、そのまま国境へ行くと思いきや両替屋さんに。その間他の客(僕)とドライバーは待っているというアジアらしい光景です。
おお、このロータリー見覚えがある。
国境横のアーケードもちらっと散策
やっぱり日本人とみると「タバコ」「バイアグラ」と声をかけられます
外国人専用のイミグレへ
陸路国境からの出国許可はここ1~2年で始まったばかりらしいので、てこずるかな、、、と思ったけど意外とすんなりスタンプを押され、晴れてタイへ
やっぱり景色変わりますね。
道路が広くて綺麗。建物も立派。タイって都会だなぁ。
モトサイをひろってバスターミナルへ
5年前に来たのでなんとなく覚えています、、、だいぶ綺麗になったきもするけど。
ところが、ここでアクシデント。
まだチェンマイ行きの最終バスがあると思っていたところ、4時半と5時のバスは週末のみ運行で、今日の最終は4時15分だったとのこと。
時計をみると4時25分、、、
まあいっか。
チェンマイまで行って、30ドルくらいのコストパフォーマンスの高いホテルに泊まってシティライフを満喫しようとしていたのですが、最後でくじかれました。
ただこういうリスクがあるため(あとミャンマーのネット環境が悪すぎたので)チェンマイのホテルを予約しておかなかったのが正解でした。
ということで、こういうエアコンバスではなくて(ちなみにこちらは夜行のバンコク行き)
5年前にも乗ったクーラーなしのおんぼろバスでチェンライまで行って宿をとることにしました。
タイ北部に来るのは学生のときに最初に来てから、ラオスの帰りに来たときも入れると通算5回。(つい半年前も家族で来ているし)
いつ来てもリラックスできる良いところです。
なんだか自分としてはすでに「帰ってきた」というムードになってしまっています。
見たことのある景色もぽつぽつ目に映るようになりました。
ここは5年前、メーサロンから乗り合いソンテウで帰ってきて、この路線バスに乗り換えたバス停です。
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ということで、まだ旅は続くのですが、ミャンマーを後にするタイミングで、なんだか自分としては締めくくりたい心境になってしまいました。
確かに5年前、タキレィックという飛び地に足を踏み入れただけで感じたミャンマーは現実のミャンマーではあったけど、本来のミャンマーではなかったように思います。
ミャンマーの人々(とひとくくりにいって良いか分かりませんが、ビルマ族のバガンもシャン州もどちらも)はちょっと控えめだけど、基本的に優しい人々でした。
例えば、単にタクシーに乗っただけでも乗車時間が長い場合は水を買ってくれたり、行き先に困っていると(自分は分からなくても)周りの人を巻き込んでいろいろと聞いてくれたり。
ただ思った以上に英語は苦手でした、元英領植民地だし、部族毎に言葉が違うので、東アフリカの人達のように多文化社会ゆえに英語が流通しているのではないかと少し思っていましたが、実際行くと全然通じませんでした。(例外はバガン遺跡の客引きの女の子)
あと数字が(ビルマ文字で書いてあるので)読めないというのが、すごいカルチャーショックでした。
(字が読めないタイやカンボジアでさえ、数字だけは読めたように思います)
まるで、漢数字を使って、右から左に字を書いていた江戸時代の日本のようでもあります。
だけど、(不完全ながら)陸路でタイに渡ってみて感じたのは、(ほぼ先進国といえる)タイとの落差が大きすぎると感じました。
もちろん道路などインフラの整備度合いが大きく違いますが、殊に農村同士を比較した場合、タイの農村は時給自足経済以外にも現金を得られる正規の雇用があって、豊かなんだなぁ、、と思います。
ミャンマーの農村はまだ正規の方式で現金(マネー)を得られる手段が限られているので、遺跡で待ち構えて、似たり寄ったりの絵はがきや工芸品を売ったり、売春をしたりしてしまうんだと思います。
タキレィックのような国境ビジネスの飛び地が存在するのも、この落差と国境という境界線が作り出す立地条件が背景にあるんだと感じました。
もちろん、この問題はそんな簡単ではないし、タクシン政権の肩を持つつもりもないけれど、それをなんとなく肌で感じられたので(自己?)満足しています。
ミャンマー、また何年かしたら来てみたい国です。
良い具合にこの落差が埋まっていると良いですね。
今回目にした、Mr.チャールズのガイド業というのはそのための一つの種が実った姿だと感じました。